タイトルにバリエーションなどと謳ったからだろうか。 時々古い記事が上位になることがある。 おそらくは、ガチな岩屋さんが覗きに来てガッカリして帰って行くのだろう。 過去の阿弥陀南稜の記事へはこちらからどうぞ。 今回も薄っぺらな内容だ。 何故なら、運があり勘が冴えていれば技術と努力は無用の長物、夏山装備は百均で十分、それなりに長い経験は全て自己流のでたらめ山行の積み重ねという我々の記録だからである。 相棒は三倍速のSくんだ。 車を出してもらい船山十字路での前入りを行った。 夜には 05:10、船山十字路を出発する。 目指すは阿弥陀岳。 南陵で上がり中央陵を下る。 いずれもバリエーション扱いのルートである。 まだ薄暗い林道を進み、小さな道標を目印に取り付きへと向かう。 バリエーションとは言え、ここはかつての一般道。 現在も利用する登山者が多いことに加え、林業関係者の入山も少なく無いことから、一般道となんら変わらぬ明瞭な登山道がある。 このルートがバリエーション扱いとされるのは、山頂直下に核心部があるからに他ならない。 ある標高までは、登山道の両サイドに針金が張られており、侵入禁止を示す無数の警告板が設置されている。 監視用のテントなどもあり、山中は物々しい雰囲気だ。 ここまでして守ろうとしているのは松茸だ。 この日は互いによく足が出た。 最初のピークを踏むのに、さほどの時間はかからなかった。 範囲は狭いが眺望が得られる。 進行方向も抜けるような秋空だ。 澄んだ青色の下には目指す阿弥陀の稜線がスッキリと黒い。 06:40、立場山から少し進むと最初のお楽しみが現れた。 見慣れぬ確度からの阿弥陀岳に向かい、Sくんが喜びいっぱいに進んで行った。 Sくんの後を追い、私も浮かれ気分で砂礫の際を通過する。 今日は大当たりだね。 急登で150m程上げると遮るものが無くなった。 キレット~ツルネ~権現岳と続く稜線の向こうに見つけた富士の姿が嬉しい。 岩稜歩きに備えヘルメットを装備した。 素晴らしい展望に幾度となく、つい足が止まる。 その都度、山に撮らされた。 左右に南陵と御小屋尾根。 それら顕著な尾根に挟まれているのが、やや不明瞭な中央稜だ。 足元のトウヤクリンドウに近づく秋を知らされた。 爽やかな気持ちで稜線を行く。 そして何度も振り返る。 歩いた分、標高を上げた分だけ、見えるものが増えて行く。 それが嬉しく、また、山に撮らされる。 こんな日は前を見ているだけでは勿体ない。 岩稜ピークは全て基部で巻いた。 次に振り返ったとき、この景色はどう変わるのか。 期待を胸に核心部へと向かう。 積雪期には緊張を強いられる核心部と呼ばれるこのルンゼも、無積雪期には次の展望を演出してくれる一枚の扉に過ぎない。 危なげなくこれを登る。 残す行程はあと一つ。 あの岩を登ればそれはある。 青空に向かうと、この日初めて聞く登山者達の声が降ってきた。 重厚な南八ヶ岳の峰々。 遠方の峰はその全てが青く見えた。 バリエーションを専門としているのだという妙齢の女性パーティーと楽しいひとときを過ごした。 当ブログの事をメモして下さっていたが、ここまで記事が遅れてしまえば読んでもらえる事は無いのだろう。 大変遅くなってしまいましたが、楽しい時間をありがとうございました。 さあ、降りようか。 御小屋尾根で降りるのだという女性パーティーとは分岐までご一緒することになった。 では、またどこかで! 時々道迷いがあるようだが、晴れてさえいればご覧の通り道型は明瞭だ。 登りで使った南稜がやがて目線の高さとなった。 センターのやや右寄りに青ナギが見えている。 途中から尾根を外して谷筋で降りる。 大岩を巻くように下げると等高線は緩くなる。 やがてあの札が再び現れ、山行の終わりが近いことを教えてくれた。 しかし適当に進んで行くと清流にぶつかり、これが取付き付近を流れる沢なのだと気がついた。 冷たい水が実に心地よく、緑のシャワーを浴びながら休憩をとった。 再び歩くことがあれば、同じようにルートを外して立ち寄りたいと思える美しい場所だった。 休憩込みで6時間程と行程は短いが、変化に富んだ素晴らしい山行だった。 阿弥陀岳を静かに楽しみたい方へはイチオシのルートである。 つい先程までいた阿弥陀岳は既にガスの中。 タイミングにも恵まれた山行だった。 南アルプスをバックに一枚撮って帰路につく。 午前中の内に高速に乗り、無論渋滞にハマることも無く帰宅することができた。 気の合う仲間との山は実に楽しい。 ましてや、相手の歩きに不安が無いとなればなおのこと。 ソロへのこだわりが無くなったのは、この頃だっただろうか。 人間嫌いでは無いが他人への関心は薄く、積極的に関わりたいとは思っていない。 近寄る相手を疑心暗鬼のフィルター越しに見ることも怠ったことがない。 成功者のサクセスストーリーには虫ずが走るし、「失敗は成功の母 中でも、笑顔で近寄ってくる初見の人間などは、最も忌み嫌うべき気色の悪い存在だ。 他人の感情に興味の無い私にとって、当事者のみが辛いはずの出来事を、火事の対岸から悲痛 今では こんな私にも、最近は山を通じて多くの友と呼ぶべき存在ができた。 中でも、バイアスのかかった山域で出会った相手ともなれば、その これまでの人生を振り返ってみても、最も良友に恵まれているのが今であることは、微塵も疑う余地は無いのだろう。 もちろん、相手の本心などわかるはずもない。 けれど、同じ気持ちであってほしいと願える相手が増えたことは、良いことなのではないだろうかと最近は思うようにもなってきた。 他人との距離をとることで、そんな存在を増やさぬよう努めてきたのは、喪失への恐怖感からだったのかもしれない。 彼らと過ごす明るい時間が、そんな想いを凌駕するようになったのだ。 私の中で育て上げた私自身、大勢の友の目に映る私というたくさんの個人達、その何れもが、本当の私であると言うことができるだろう。 本当の自分を一番理解していないのは、案外私自身なのかもしれない。 そんな考えが胸にストンと落ちると、なんだか心が軽くなった。 ならば少しでも好かれたい。 けれど肩肘張ること無く、ありのままで良いのかもしれない。 随分と遠回りをしてきたが、答えは実にシンプルだったのである。 体力はすっかり衰えてしまったが、心はまだやり直す、否、育てることさえできるはすだ。 山は人を育ててくれる。 山が好きな理由、山に登る意味が、ようやく少し解り始めた。
by yama-nobori
| 2018-11-07 22:28
| 登山 2017
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