第一部の記事へは下記からどうぞ。 13:00、四十九丁目にある「随身門」をくぐり抜け、敬慎院(けいしんいん)へと続く階段を下る。 ここを訪れた目的は、先述した通り知り合いを尋ねお土産物を購入することとブログネタの収集だ。 目的を果たしたその後はとっとと下山を済ませて温泉にはいり、次の登山口でビールを飲みまくるのである。 身延山はイメージ通りの観光地であり、そこで貰ったパンフレットにはこの七面山がセットで紹介されていた。 敬慎院は、1297年(永仁5)日朗上人が開山した日蓮宗の霊地で、身延山久遠寺の寺域となっている。 なるほど、やはりここも身延山と同類の観光地なんだな.... 「随身門」からの石段を真っ直ぐに下ると、真正面に現れるのが敬慎院の本堂だ。 七面造りと呼ばれる独特の建築様式が実に素晴らしい。 敬慎院の標高はおよそ1700mである。 一般的な表参道の羽衣橋登山口の標高は505mであるから1200m程の標高差がある。 ここを4~6時間かけて「登詣」(とけい)するのだから、普段歩き慣れていない信者の方々はこの石柱の文字に安堵することであろう。 高尾山のように機械的に「おみくじ」を売る まあ平日はこんなもんなのか。 確かにここにはロープウェイも無いし、あまり人気が無いのかな。 山頂の展望も無かったし。 しかし周囲にはほのかにお香の香りが漂っており、とても懐かしい心静かな良い雰囲気だ。 「七面山敬慎院入り口」の文字を見つけドアに近づいた。 大勢の半纏を着た座敷番さんや僧侶の方々が、気持ちの良い笑顔で手を合わせて出迎えてくれたのだ。 「おつかれでしょう。お茶を飲んで休憩していってください。」 10人近い座敷番さんや僧侶の方々がこの右方向にずらっと並び、こんな小汚いおっさんを全力で出迎えてくれている...。 もちろん白装束では無いし、半袖半ズボンにスニーカーの登山者とも呼べない出で立ちであることが実に恥ずかしい。 しかしあまりのウェルカムムードに負け、靴を脱ぎ上がらせていただくことにした。 普段人様に歓迎されるような生活を送っていない私は、ただただ恐縮し挙動不審となり、流れに身を任せるしかなかったのである。 僧侶の方がお茶を淹れてくださった。 なんの作法も知らない上に、他人を全く信用しない私はただより恐いものは無いぞと不安に身構えた。 しかし若い話上手なこちらの僧侶に慣れてきた私は、僧侶を志した理由・学校などでの授業内容・修行のこと・山と下山後の生活などなど興味深い話を無遠慮に聞いた。 そして普通の若者なんだなぁと感じつつも、彼の中にしっかりとした芯のあることに気付かされる。 例えば「何故人は合掌するのか?」「そもそもどんな意味があるのか?」などの問にも、自分自身の意見も加えながら実にわかりやすく話を聞かせてくれる。 これには感心すると同時に自分の無知さ加減に恥ずかしくなった。 かなり話し込んだ後、「小松祐嗣」氏のことを聞いてみた。 するとパッと顔を明るくして部屋を出ていった。 早速昨年の晩秋に知り合い、ここに尋ねるきっかけとなったS氏のことを聞いてみると笑顔の凛々しいアスリートの顔になる。 田中陽希さんのこと、修行走についても大いに盛り上がった。 また、この山の文化を伝えていくために身延に来る人を増やしたい、七面山に登ってくれる人を増やしたいと熱く語って下さった。 徳の高い氏の話は実に知的であり、丁寧でわかりやすく心に響く。 またその「声」そのものが心地良かった。 お忙しいのに貴重なお時間をありがとうございました。 次回は と、、、お礼を言うと、お時間があるならば宿泊して行きませんかとのお誘いを受けた。 しかし これには二つ返事でこたえると、一人のお坊さんが案内に連れ出してくれた。 まずは「七面大明神」(しちめんだいみょうじん)と書かれた大きな提灯の掲げられた本堂に入る。 七面大明神は七面天女とも呼ばれ、日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神である。 各地の日蓮宗寺院で吉祥天とも弁財天ともいわれるこの女神を祀る本地が、この七面山の敬慎院なのだ。 金と朱が目に鮮やかであり荘厳だ。 天井画も見事である。 竜神が姿を現すというこの「一の池」は、古来から一度も枯れたことがない信仰対象そのものである。 竜神の目撃情報は意外にも多く、その竜神の起こした波紋の写真が本堂に飾られていたりもする。 是非ご自分の目で確かめて頂きたいと思う。 七面山には七つの池があるが、その七番目の池を見た者はいないという伝説が残る。 ~ 「身延山の伝説」『身延町誌』より ~ 「七面山には、池が七つあるという。そして第七の池は決して見ることができない。もし見ると、その人は必らず目がつぶれるといわれている。ある時、信州の樵夫(きこり)が山の中で迷ってこの池のほとりに出た。清らかな水と静かな森にすっかり魅せられた樵夫は、美しく乱れている池のほとりの名も知らぬ紫の草花をむしり取って池の面へ投げた。すると、不思議にも今まで少しも波がなかった水面に渦巻が起きて、それがだんだん大きくなって、果ては岸をかむ大波がものすごい勢でおし返すようになった。そして、その波の間から竜が突然飛び出して天上した。この有様をみて驚いた樵夫は、一散に山麓へ逃げ下った。しかし、その時あわてて斧を置き忘れて来た。それで今後もし斧が発見された池があったら、それが七面山の第七の池であるといい伝えられている」。 こんな不信心な私でさえも、その空気感には神妙な心持ちとなった。 七面山では、鹿は神様の使いであるといわれている。 その後もいくつかの部屋を見学し、行き止まりまでやって来た。 広い敷地の奥には大きな宿泊施棟が数棟建っているのが見えた。 敬慎院は信仰の有無にかかわらず、1500人程の宿泊者を受け入れることが可能な宿坊である。 これからの時期、500人~800人程度での稼働は良くある話なのだそうだ。 こちらの大型施設を利用するのは、いわゆる「講」と呼ばれる信仰を同じくする集団の参拝者達である。 一時間以上の時間をかけ丁寧に見聞きさせて頂いた内容はどれもこれも素晴らしいものばかりであった。 このような案内は、いつ誰に対しても行っているのだそうだ。 日帰りの登山者の方も遠慮すること無く立ち寄ってみることをお薦めさせて頂く。 さて、敬慎院には他にも貴重な宝物などが数多く保管されているらしい。 しかしこれらを見学するには宿泊が必要だ。 この日の宿泊者数を聞いてみると「6名の予約が入っております」との答えが返る。 1500人が宿泊可能な宿坊に、なんとそれだけ....。 ここまで人が少ないのは珍しいことなのだそうだ。 よし決めた。 やはり宿泊させてください! 費用は5200円である。 八畳程の個室に通された。 ヒーター、お茶、浴衣が用意されていた。 宿泊者の多い場合は、個室として使用できるように仕切られている襖は全て取り払われる。 就寝時は七面山名物であるロール状に丸められた長い布団(七人用)がびっしりと敷き詰められ、信者・登山者・老若男女問わず眠るのだそうだ。 この日は普通のお布団が用意された。 施設内を少し紹介させて頂くことにする。 こちらが入口である。 座敷番さんや僧侶の方々が大勢いらっしゃって、敬慎院を訪れる方を暖かく迎え入れてくれる。 私はやや訪れる時間が早すぎたようで、扉が閉ざされていたらしい。 余談ではあるが、こちらの座敷番さんの中にも知った顔があり、世間の狭さに驚かされた。 入り口正面には受付があり、お守りなどの販売や御朱印帳の受付などがある。 その他、本堂の入り口には七面山に関する書籍などの販売も行われていた。 当たり前の話であるが、ジュースを含め、飲食物などの販売は一切行われていない。 話上手な座敷番さんがよく腰掛けていたので、私が敬慎院の中で一番長い時間を過ごした場所となった。 宿泊するつもりの無かった私は何も持っていなかったが、タオルを貸してくださった。 シャンプーや石鹸などを使用することはできないが、汗を流しサッパリすることができた。 Tシャツは洗った後ファンヒーターで乾かすことにした。 狙っているのは富士山であったが、映し出されていたのは真っ白なガスのみであった。 う~ん、せっかく泊まることにしたんだから明日はご来光が見られると良いなぁ。 翌日の天気予報は「曇り」である。 夕食は17時、その後、七面山大明神の像を拝む「御開帳」が執り行われ、参詣者たちは本堂での夕勤へ参列することになる。 お勤めは朝夕の二回あるが、朝勤への参列は任意で構わないのだそうだ。 身延山は雲海の下にあるようだ。 標高1700m付近にこれだけ大規模な施設があることには驚かされる。 古くから山中における寺院の規模としては国内有数のものとして広く知られていたようだ。 人力で荷揚げされた建立当時の材料は、今でも立派に敬慎院を支えている。 その昔、日蓮聖人の前に天女の姿をした七面大明神が現れ「身延山の鬼門をおさえて、お山を護る法華経の護法神として、人々に心の安らぎと満足を与え続けましょう」とお誓いになった。 日蓮聖人は七面山に登り大明神をお祀りしたい考えたが、その願いは叶うことなくご入滅されてしまった。 敬慎院はその高弟である日朗上人が、1297年(永仁5)に開かれた身延山久遠寺の鬼門を守護する寺院なのである。 周辺には信者の方が植えたというクリンソウがたくさん咲いていた。 代金を訊ねると「御朱印は売り物ではございませんので、お気持ちをあちらに置いて下さい」とその場所を示された。 ゲスな話ではあるが、通常御朱印をお願いすると他の寺院では300~500円程度で「買う」ことになる。 一頁目に「七面大明神」と記されたこの御朱印帳に、新しい印が増えていくことが今ではすっかり楽しみになった。 囲炉裏の壁に一枚のポスターを見つけた。 「身延山開闢会」(かいびゃくえ)とあり、座敷番さんからその説明を受けた。 先日行われていた身延山での「開闢会前夜祭」がどのようなものであったのかを、ようやく理解した瞬間だった。 この日「登詣」及び「参篭」に訪れる方が少なかったのには、翌日身延山で行われる開闢会の大法要がその理由なのであろう。 (身延山の記事はこちらをどうぞ) 御膳で運ばれてきたのは精進料理。 質素ではあるが、水が美味しいためか米と味噌汁がやたらと美味い。 おかわり自由のご飯は4杯食べ、大満足だった。 お神酒が嬉しい。 こちらも この日の宿泊者の半数ほどが熱心な信者の方であり、登山者は私1名、他の方は別に目的があるようであった。 食事を終え囲炉裏に向かうと、北海道からやってきたというソロの女性と一緒になった。 彼女はこの敬慎院を訪れたのは三度目であり、過去全てがお天気に恵まれず、今度こそご来光と富士山の姿を見たくて再訪したのだという。 彼女の話によれば七面山へは籠に乗って登ってくることができるそうで、強力に渡すそのお値段は30万円、ヘリを使用した場合は100万円などの面白い話を聞かせて頂いた。 高齢者や体の不自由な方の利用が年に数回はあるのだそうだ。 彼女のおかげで、18:30からの「ご開帳」までの時間を楽しく過ごすことができた。 明日は富士山を拝むことが出来れば良いのだけれど.... さて、大きな太鼓の音が聞こえ始めれば、七面山大明神の像を拝む「御開帳」の時刻である。 本堂へと入るとロウソクの灯りでほの暗く、密やかで緊張感のある雰囲気だ。 僧侶達の読経が本堂に近づいてくると、白装束の熱心な信者の方々がお題目を唱え始める。 そして数百年間繰り返されてきたのであろう作法の後、像の置かれた扉が開かれた。 ご焼香の際に間近に拝んだ七面大明神のお姿は、とても優しい仏様の様相であられた。 扉が閉じられると夕勤が始まった。 速読(はやよみ)といわれる猛烈な速度での読経が行われ、お題目と4つの大太鼓の音が堂内いっぱいに響きわたる。 力強い読経が続き、我々参籠者も日蓮宗の法具である団扇太鼓を叩いて共にお題目を唱える。 大音響に包まれ一心不乱にお題目を唱えていると、頭の中が”無”となった。 一時間ほどで夕勤は終わる。 尚、椅子などがあるので足のしびれは心配無用だ。 夕勤の最後に筆頭執事である小松氏が説法を行った。 その頃話題となっていた東京都知事舛添氏の話などを巧みに取り入れた話が実にわかりやすく心に沁みる。 最後に立派な護符をいただけた。 勤行後は敬慎院に収められている宝物の数々を見せて頂くことができる。 どれもこれも素晴らしいものばかりであるので、是非ご自分の目で見て頂きたいと思う。 消灯は九時。 満たされた気持ちですっと眠りに落ちた。 起床は四時。 敬慎院に目覚ましは不要だ。 大きな太鼓の音と共に座敷番さん達が部屋になだれ込んでくる。 その一分後には布団が綺麗に無くなった。 そのあまりの素早さにはしばらくきょとんとしてしまった。 本堂から早くも読経が聞こえ始める。 顔を洗い外へ出た。 日の出時刻まであと5分。 ずいぶんと長い間登山を楽しんできたが、読経の中で迎えるご来光は初めての経験だ。 スッキリとしたご来光とはならなかったが、まるで奇跡を見ているかのような、なんとも言えない不思議な時間であった。 とても嬉しそうに見つめている北海道から訪れた女性が印象的だった。 御来光の道、レイラインをご存知であろうか。 春分・秋分の日、千葉県外房上総一ノ宮にある玉前神社の真東に位置した参道から昇った太陽の光は、一の鳥居二の鳥居を突き抜け西へと進む。 それはやがて東京湾を渡り寒川神社へと達し、富士山山頂を通過、身延山と七面山、琵琶湖竹生島の弁財天社、大江元伊勢のご神体山である日室岳、やがては中国地方の名山大山の大神山神社、そして出雲大社を一直線上に結ぶ光の矢となる。 春分・秋分の日の朝に限り、一筋の太陽光が建物の入り口から65m奥にある至聖所まで届くアブ・シンベル神殿の壮大な仕掛けは有名だ。 実はこれと全く同じ仕掛け、いや、それを凌駕するものが敬慎院にある。 ダイヤモンド富士、つまり富士山の真上からほとばしったその光は、敬慎院の随身門を通り七面大明神を照らし出す。 やがて光は「一の池」の真上を通過し、真西に位置した出雲大社までの聖地を一直線に結ぶのである。 現在では本殿の奥に収められているため七面大明神を照らし出すことは無いが、かつては光り輝くそのお姿に人々が涙したのだそうだ。 4:32、読経の終わりと共に富士山は再びガスに包まれ二度と姿を現すことは無かった。 ご来光を拝むことは朝のお勤めの一環だ。 戻った信者たちの多くは本殿へと向かう。 朝食の時間は融通が効く。 お弁当にすることも可能であるし、私のように本殿でのお勤めに参加しない場合には、すぐに用意して頂くこともできる。 4:51、朝食もとても美味しく頂いた。 お世話になった座敷番さん達にお礼を述べ下山を開始した。 本殿から聞こえる読経の声が小さくなる。 冬の良く晴れた日には、この随身門が富士山を飾る額縁の役目を果たすのだそうだ。 私も見てみたい。 そう強く願いながら、古から変わることのない御来光の道を辿り門を通り抜けた。 生まれて初めて撞いた鐘楼の音色は、生涯忘れることはないであろう。 頭が下がる。 もともと女人禁制であった七面山の禁が解かれるのは、江戸時代を待たねばならなかった。 徳川家康の側室である養珠院お萬の方は法華経の熱心な信徒であり、女人成仏が説かれる法華経を守護する七面山への登詣を強く願い、登拝口に程近い白糸の滝で7日間身を清め、ついに女性として初めての登頂を果たす。 私が登山前に軽い気持ちで訪れたあの滝が、この白糸の滝であったのだ。 敬慎院の宝物庫には、お萬の方の手鏡が収められている。 「山」に登る際、事前に過剰な情報収集を行うことは愚の骨頂だと思っている私である。 しかしこの七面山、特に敬慎院に訪れるならばその知識は多いほうが良い。 私にはその知識が欠落していたために往路では多くの貴重なものを見逃した。 次回はこの経験を活かし、もちろん敬慎院に『参篭』し、表参道~裏参道を『登詣』してみたいと考えている。 七面山には『感謝』の心が満ちている。 是非、皆さんもそれぞれの思いを胸に『登詣』して頂きたいと思う。 生涯忘れることの無い、数多くの貴重な経験をした七面山に登るきっかけを与えてくれた山梨百名山に感謝である。 さて..... この「感謝」に満たされた山行から既に四ヶ月が経とうとしている。 ブログの更新の遅さに呆れることも然ることながら、この汚れきった心はなんなんだろうと心底呆れかえっている。 随分と生活環境が変わり、しかめっ面で過ごす毎日だ。 あの清々しいまでの安堵感が恋しくてたまらない今日此の頃である。
by yama-nobori
| 2016-10-04 22:24
| 登山 2016
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Comments(3)
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sen230727
at 2016-10-06 15:18
参篭して夕勤で七面大明神を拝み、翌朝ご来光と富士山を見る。貴重な体験でしたね。
読んでいくと敬慎院は仏教の世界ですが、マーケティングの手法が取り入れられていると 思います。如何に七面山に登らせ、参篭させ、読経・説法を聞かせて諸体験からリピーターに してしまうのは感心してしまいます。優さんも今度息子さんと登るそうですから、リピーター となりますね。レイラインは知りませんでしたが、今年の山旅で伯耆大山、出雲大社を巡って 来たのはラッキーでした。生きてる間に、このレイラインを訪れてみるか?また、七面山 は私のターゲット領域に入ってないのですが、別格の枠を持っているので迷う所です。 名物の大やかん、以前の記事N岳の道具類に似ていませんか?
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yama-nobori at 2016-10-30 21:59
> sen230727さん
いや~本当にお返事遅くなってしまい申し訳ないです(^^; きちんとした返信を書こう書こうと思いながらも日常に忙殺され続けておりました。 七面山での宿坊泊はとても良い経験でした。 雪のついた頃に再訪の予定です。 伯耆大山、出雲大社巡り、羨ましい限りです。 私もいつか車中泊を繰り返しながら貴殿の足跡を追いかけてみたいと思っています。 七面山予定に入りましたらぜひご連絡を! でもお酒は飲めませんねw
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ねも
at 2017-03-24 15:58
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あちらへのレスありがとうございます。こちらこそ、あちこち大いに楽しませてもらっていますよ。
関係ないことから書くと、間ノ岳・弘法尾根登頂は凄いですね。驚嘆します。しかも1日でほぼ突破とは…… 驚きの何乗でしょう!? 敬信院で素晴らしい体験をされましたね。私たちは昨秋11月3日に泊まったのですが、こんなに深いものとは知りませんでした。この日は私たち4人も含めて宿泊者13人、登山と参拝は半々くらい。ファンヒーターやお風呂があってうれしかったです。 もちろん勤行など一連のイベントには参加しました。面白いのは同行者の反応。多数意見はまあ面白かったですが、わが妻だけはあの宗教色がちょっと……だそう。 翌日は、八紘嶺を経て梅ヶ島温泉まで歩きました。紅葉真っ盛り、途中新雪の南アルプスがきれいで、静かな良い山旅でした。 ところで、敬信院は禁酒なんですか? 般若湯が出されたので、またHPにも禁酒とはなかったので、持参のワインを飲んじゃいました!
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