甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)は、奥秩父山塊にある標高2,475mの山である。 甲州(山梨県)、武州(埼玉県)、信州(長野県)に跨がることからこの名がついたという説が有力だ。 9月後半にやや大きな山行計画を立てていた。 しかし体が鈍りきっていたため、古巣の山域、奥秩父山塊でのトレーニングを予定した。 無駄な水を10L程担ぎ、廻目平~金峰山~国師ヶ岳~甲武信ヶ岳~武信白岩山~毛木平~廻目平を周回するCT20.h以上、歩行距離40km強の日帰り計画だ。 ゴミ溜めを脱出し、前入りの為に高速を飛ばす。 野辺山が近づき、ふと助手席の足元に違和感を覚えてパニックとなった。 「靴がない...。」 自宅に確認すると玄関に置いてあるという。 その直後、携帯が圏外となった。 真っ暗な林道を走りながら考えた。 かかとのストッパーが壊れたツルツルなクロックスもどきと、ソールがぱっくりと割れた、これまたツルツルのスニーカーを捨てるつもりで車に積んでいた。 何れにせよ、これで40kmはちときつい。 登山口を毛木平へと改め、「毛木平~千曲川源流遊歩道~甲武信ヶ岳~三宝山~武信白岩山~十文字峠~毛木平」の周回コースへと変更、相棒にはスニーカーを選択、CTは10時間程の大幅にしょぼい計画となった。 コメツガ・トウヒ・カラマツなどが混成した独特な雰囲気の樹林帯が、奥秩父の魅力である。 この日はトレーニングのつもりだったので、展望への期待は端から無かった。 やがて信濃川へと名前を変え、遠く日本海へと辿り着く千曲川の源流域はこの甲武信ヶ岳にある。 千曲川源流の西沢に沿って緩やかに標高を上げる。 西沢渓谷側からの登山道は、途中水場の無いややタフな登山道となるが、毛木平からのルートは実に穏やかだ。 今回はトレーニングの為に余分な水を背負っていたが、山頂手前30分程度まで水の現地調達が可能である。 これ程までに軽量化に適したルートも珍しいと思う。 6:20、「ナメ滝」(1784m)通過。 殆ど斜度を感じることのないまま源流域目指し歩き続ける。 他に登山者も無く、聞こえてくるのはサラサラと流れる清流と小鳥のさえずり、そして「ぱっかんぱっかん」という靴の音だけだった。 ここでずっと登山道と共に流れていた千曲川とはお別れになる。 しかしそれも長くは続かず、僅かな距離で山頂直下の尾根に乗る(2353m)。 ここまで登ってくれば目指す山頂は近い。 CT約4時間に対し、所要時間2時間35分での到着となった。 この立派な山頂標柱の建つ深田百名山に三角点は無い。 江戸時代には、現在の木賊山・甲武信ヶ岳・三宝山は「一つの山」であると認識されていた。 その後、明治時代の日本地図作成作業の際、最も標高の高い峰である「三宝山」(2,483m)に三角点が設けられたためである。 これから向かう三宝山と三宝岩とが良く見えた。 狭い山頂ではあるが、大展望の甲武信ヶ岳である。 ずっと貸し切りのままであったが、甲武信小屋方向から人の気配がしたので三宝山へ向かうことにした。 8:50、出発と同時にガスがかかり始めた。 やはりこの山域は美しい。 樹林帯につけられた秘密のトンネルのような登山道を気持ちよく進む。 立派な一等三角点である。 またシャクナゲの咲く頃、木賊山に登りたいと思っている。 木賊山の記事へはこちらからどうぞ。 9:30、三宝山から十文字峠へ向かうと「尻岩」(2200m)と呼ばれる大きな岩が現れた。 尻岩から十文字峠までは、幾つかの岩峰を越えていく。 10:30、「大山」(2225m)登頂。 この頃には周囲の山はすっかりガスに包まれてしまった。 大山からのやや急な鎖場を経て十文字峠へと向かう。 再び樹林帯は奥秩父山塊の趣きとなる。 お母さんの話を聞きながら「はないぐち」のキノコ汁を楽しんだ。 今回思い通りのトレーニングを行うことは出来なかったが、奥秩父の魅力を再認識した素晴らしい山行だった。
by yama-nobori
| 2017-03-25 19:53
| 登山 2016
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sen230727
at 2017-03-27 17:52
登山靴が無い!盗難でも無く、紛失でも無く良かったですね。山友〇〇さんを笑えませんな。
それにしても諦めずに計画変更して、甲武信ケ岳周回コース登り切った事に敬服!断捨離の時代ですがむやみに 物を捨てない事ですね。私は此の甲武信ケ岳、平成26年9月7日(日)毛木平登山口から水源流地を通過し 往復しましたが特に印象に残る山です。水源地は団体登山者が休憩していてそのまま通過し、下山時に貸し切りで 飲水と汲水をしました。新潟市の信濃川河口で3年間住んだことで、感慨深い思いが有りました。 頂上で休憩していると、70代?と思われる、四国松山市からの女性単独登山者が登って来ました。モニュメント前で記念撮影を依頼され終えると、休憩していた登山者6~7名に向かって次のコメントが有りました。 『十年前、女性のみ12名で百名山を登頂でスタート。年を経過するにつれ、親の介護、亭主の病気や介護、 本人の病気や怪我で参加者が減少。今は私1人となった。この甲武信ヶ岳で80座だが、百座登頂は諦めた。 剣岳・槍ヶ岳・北海道幌尻岳は到底無理だ。しかし百座はダメでも88座は登り終えたい!』 張りのある、通る声で言い終わると『迎えのバスを待たす訳にはいけない』と早々に下山して行った。 頂上には若い登山者が多く居たが、これを如何なる感想で聞いたか?私には非常に印象の強い一座となりました。優さんは甲武信ヶ岳登頂何回目?
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yama-nobori at 2017-04-01 12:01
> sen230727さん
senさんこんにちは! いつもありがとうございます。 なるほど、信濃川河口にお住まいでしたら感慨もひとしおですね。 山では色々な想いを背負って登られる方に出会いますね。 百名山を夫婦で始め、残り一座で奥様に先立たれてしまったベテランさんの話には涙が止まりませんでした。 再会の暁にはまたそんなお話しなど。 木賊山の山頂標が雪に埋まるようになるとトレーニングで良く登っていました。 でも甲武信ヶ岳までは意外と少なく...20回は無いと思います(^^)
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