山梨百名山を登り終えて


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山梨百名山は、一般公募と市町村推薦の282座の候補の中から「県民に親しまれている」「全国的な知名度がある」「歴史や民族とのかかわりがある」などを基準に、山梨県が選考委員会を設け、1997年2月(平成9年)に選定した100山である。選定当初は各市町村から一座が選定されていたが、後の市町村合併によりこの基準は崩れ、現在は偏りがある。

山梨在住時代に山梨百名山なるものが制定されることを知ったが、特に惹かれることはなかった。○○名山シリーズに引きずり出されたお陰で整備が進み、深く静かであった山が観光地に成り下がった悪例を幾つか目にしていた私にとって、山ブームに便乗した深田百名山の出来損ないの登場は迷惑でさえあったのだ。選定されてしまった不幸な山名を知らなかった為、山梨百名山標柱を見かけるたびに「へぇ~、ここもそうなんだ」と思う程度のままで月日が流れた。

しかし完登からおよそ3ヶ月程前のことである。秀麗富嶽十二景のチラシに山名が併記されていたのでなんとなく登頂数を数えてみると、既に80座程登っていることがわかった。やはりここでも数字遊びに興味は無かったが、知らない山名が記載されていることに、大きな衝撃を受けたのだ。

私にとって山梨は第二の故郷だ。
甲府盆地から見ることのできる全ての山を、全ての尾根から登ってみたいと常々考えていた。その故郷の山に、名前すら知らない、百名山と銘打たれた未踏峰があったのである。

山梨百名山の選定基準を調べてみると首記の通りであり、「全国的な知名度がある」には頷くことができなかったが、山岳信仰と民俗学に興味のある私は、里山を数多く含む山梨百名山へと徐々に惹かれ始めた。未踏峰の20座を登頂するだけならば、2週間もあればこと足りる。そこで制定以前に登った山は全て登り直すことに決めると、その対象は60座を超えた。生活環境が7月から大きく変わることはこの時既に決まっていた。ならば、それまでに1つのことをやり遂げて、人生の区切りを付けてみようかとも考えたのである。


登山を始めた頃は、人より重い荷物を担ぎ、より難しいルートからの登頂やロングルートのスピードハイクに喜びを感じていた。しかし他人の歩いた登山道をトレースするだけの、時間や数字を競い合うようなスタンプラリーにはやがて飽きてしまい、人の少ない静かで美しい登山道と景色、そして山中での幕営そのものを楽しむことへと傾倒するようになった。ピークハントへの拘りは徐々に薄れ、特に南アルプスの深い森の中で焚き火を見つめて過ごす時間が多くなった。登山は人と競い合うものでは無い。否、競う必要の無いものであると気がついたのだ。

地形図を眺めていると、何故こんなにも非効率な位置にルートがあるのかと疑問が浮かび、自分なりの線を引いて歩いてみることがある。また、正規の登山道を歩いていると、薄っすらとした獣道のような踏み跡が気になり、記録を残すことも多かった。これらを古地図と照らし合わせると、私の妄想ルートとかつての登山道が一致していたり、踏み跡は廃道であることが稀にあって俄然面白くなった。こうして廃道や古書にも興味を持つようになり、やがて所謂バリエーションを好むようになった。

様々な山域に足を踏み入れたいと思う時期もあったが、限られた時間の中、少しでも長く山の中に身を置きたいという想いが強かった。山で過ごす時間より移動時間が長いということが馬鹿らしい事に思え、近隣の同じ山、特に山梨の山を中心に尾根と季節を変えて楽しむようになった。そんな頃、仕事の関係から山梨で数年間暮らすことが決まると、他の山域からは完全に心が離れ、山梨は第二の故郷となったのである。

長い間こんな山歩きばかりを続けていたので、登山仲間ができたことと、営業小屋への宿泊有りきの計画を立てるようになったのはここ4年程前からのことだ。ずっとソロで歩いてきた私にとって、山友と呼べるメンバーとの出会いは衝撃的な楽しさだった。誘われれば雑誌に載っているようなブランド山へも出かけるようになり、それまでやむを得ず利用するものだと考えていた営業小屋を巡ることも、山の楽しみ方の一つなのだと最近になって知ったのだ。

直近ではネット上の山コミュニティにも顔を出していたが、こちらは嫌気が差し、今では友人の記録を眺める程度での利用となっている。

山は出会いの場であると同時に、別れの場でもある。妙な季節に避難小屋や深い山中で繰り返し出会う顔がいくつかあり馴染みとなった。やがて名前で呼びあう程度の仲にはなったが、不思議とパーティーを組もうという話にはならなかった。年齢も職業もまるで違う我々ではあったが、山へ求めるものはピタリと一致しており、登山口で互いの車を見つけると、トレースを辿り合って酒を酌み交わした。まだネットの無い時代だったので、彼らとの会話は貴重な情報源であると同時に、何より刺激的で面白かった。ある日、その内の数名が遭難で亡くなっていた事を風の便りに聞かされた。『安全な登山など存在しない。あるとしたらそれは偽物だ。』とよく話をしていたので、残念には思ったが、悪い死に方だとは思わなかった。彼らは山の真の恐ろしさと楽しさを知る、経験豊富な屈強な本物の登山者達だった。

名のある登山家の事故は伝記になる。しかし、そうでなければ後出しジャンケンのような文章と共に晒されてしまうのが、ネット社会だ。数年前の冬、とある女子高生が八ヶ岳で滑落事故を起こしニュースとなった。するといつも通り「無理だ無謀だ経験不足だ」の文字が溢れ出したが、彼女の素性を知る者たちは冷静な反応だった。ところが事故から筆の乾かぬ数年後、コミュニティは賞賛の文字で埋め尽くされる。彼女がエベレストの国内最年少記録を塗り替え、七大陸最高峰登頂を達成したからだ。「どんなに壁が高くても、思いを強く持って努力すればかなえられると思う。」登頂を終えた、彼女の言葉である。

登山届を提出し高機能ウェアを身に纏い、ヘルメットを被って正しく使えもしないピッケルとアイゼンを携行すれば入山許可が下りたと勘違いしているハイカー達の書く、教科書通りの綺麗な文面で綴られた「地震後の地震予知」を読むたびに、彼らを愚弄しているように思えて嫌気が差した。これから登ろうとする直前の登山道の様子をSNSから拾う、占いのような天気予報に一喜一憂し、他人の軌跡をGPSに落としナビされながら歩く。これが、安全登山に必要不可欠な行為なのだという。

確かにそうなかもしれない。

しかし我々が愛したスタイルは、予測の遥か上で健全に生きている自然に対する冒険だった。登山に必要なのは、まずは体力、そして勘と運、最後に技術と装備だと顔を合わせるたびに話をした。過多な情報は登山をつまらないものにし、いざという時の勘を鈍らせる。貧乏故にあらゆるものを大切に使い、失敗を繰り返しながら多くのことを現場で学んだ。最初からピッケルを構えさせて行うのだという最近の滑落停止訓練で、本当に自分の身を守ることが出来るのだろうか。通信教育の教科書に学び、トップに上り詰めたというアスリートに私は出会ったことがない。

知識を持つことは決して邪魔なことでは無い。しかし、ネットで事前の情報収集を怠ることを「悪」とするような風潮は、到底理解することができない。ケーブルカーを利用し標高を金で買い、他人のトレースを踏んで戻るだけの行為を「登山」と呼ぶのか、はたまた「観光地巡り」と呼ぶのかは個人の自由だ。しかし、山への知識・天気図を書く・読図・歩行・幕営技術などは、当たり前過ぎて話題にすらならない自立した登山者達の事故を分析する資格は、勘違いハイカー達には無いはずだ。
私は嫌なものと群れるつもりは無い。

彼らは良い時代に山に還って行ったとさえ、今は思っている。

岩と雪の殿堂と称される名峰や、日本のマッターホルン、○○キレットなどと呼ばれるかつての難所には、鉄杭や鎖などの登攀補助具が増え続けている。こうした人工物が増えるたびに、当時彼らと交わしたあの言葉を反芻する。

「安全な登山があるとすればそれは偽物だ。」

これらの人工物は「安全」という言葉と引き換えに、より多くの人を呼ぶ。最重要装備が「お金」である同エリアに於いて、最も危険な存在であるのはその「人」そのものであると、身を以て理解している登山者は多いはずだ。危険物である「人」を安易に、そして際限なく招き入れておきながら安全を呼びかける商業登山の矛盾。稜線上の小屋で行われる過剰サービスの集客力により、満足な睡眠をとることのできない機能不全の小屋も多くなったと聞く。しかしその商用登山を成り立たせ、より成長させる原動力の根底にあるものは、皮肉にも『深田百名山』と『ネット』であると言うことができるだろう。

昨シーズンの厳冬期、仙塩尾根から光岳を目指すというソロの老人とバリエーションですれ違った。天候悪化の始まった仙丈ヶ岳へのハードラッセルを開始する、使い古した装備を身に着けたその老兵を見送りながら、「この人は死ぬのかもしれないな」と思うと同時に、なんて格好いいんだろうかと胸が熱くなった。生涯表舞台に立つこともなく、人知れず自分の山を歩いている登山者こそが、私にとっての本物だ。本当に面白い物語は、駄文だらけの当ブログも含め、こんな安っぽい場所には落ちてはいない。

頂を幾つ踏んでみても、自分なりの難ルートを歩いてみても、何かを変えてくれるような素晴らしいものを拾い上げることはこれまで無かった。では『何故、山に登るのか』。登頂の成功も失敗も、それら結果の全てが自分自身にある単純な遊びが登山である。故に答えは単純であり、明瞭な答えは必ず自分の中にある。

こんな偏屈な考えを持つ私がひょんなことから山梨百名山と出会った。登山口以外の情報収集は行わないことを決め、地形図と昭和初期の地図だけで登ることを自分のルールと定め歩き始めた。開始した当初は案の定こんな数字遊びの何が面白いんだろうかと思い、所詮この程度だったよという記事で終わるだろうと想像しながら記録を残した。しかし歴史と文化の色濃い暮らしに密着した里山の魅力に触れ、刺激的な冒険を味わいながら素晴らしい仲間との出会いが増えていくにつれ、考え方が少しずつ変わっていった。そしてスケールの小さな深田百名山だと思っていた、「挑戦」と呼ぶにはあまりにおこがましいこの挑戦が、これまでの登山人生を凝縮した喜びと出会いに満ちていることに気がついたのだ。

すると、完登してしまうのが心から寂しくなった。

山梨百名山を完登したことで、深田百名山へ挑戦する登山者達の気持ちが理解できるようになった。ソロでの観光地巡りも悪くないのかもしれないとさえ、思えるようにもなった。嗜好の合わないスタイルに無理に合わせるつもりは毛頭無い。しかし嗜好は変化するのだと言うことを知り、食わず嫌いは勿体無いことなのだと、今更ながらに気がついたのだ。

百の頂に百の喜びがあるように、山の楽しみ方は千差万別だ。山の楽しみ方を否定・肯定することを許されるのは、結局自分自身以外にはいないのだから、価値観の違う人間と八方美人で群れる必要は全くないし、ましてやそれを押し付けるなどナンセンスな話である。ネットの最大の利用価値は「価値観の違う相手を事前に選別し、避けることが可能になることだ」などと書いたら怒られるだろうか。

個人で行う登山は他人と競い合うものでは無いという変わらぬ思いがある。「どんなに壁が高くても、思いを強く持って努力すればかなえられると思う。」彼女の言葉は、決してエベレストだけに向けた言葉では無い。その「壁」は近所の裏山であっても構わないし、ましてや山である必要すら無い。昨日の自分より少しだけ背伸びをし、明日はより高い頂に立ちたいと願い、日々努力を重ねるのが人間だ。競う相手がいるとすれば、それは自分自身だということになるだろう。私が山に求めるものは、他人からみたら、実にくだらない上に変なこだわりに凝り固まった、ちっぽけな挑戦と冒険だ。

私は一足先に山へと還った彼らと、あの頃と変わらぬ不確かなものを求めて「登山」を続けたいのである。

山梨百名山もソロが多くなったが、気心知れた岳友と踏んだ山頂には、かけがえのない笑顔の思い出が刻み込まれた。景色と会話は勿論のこと、風の音や木々の香りでさえ、今でもハッキリと思い出すことが出来る。駄文だらけの記録を読み返してみれば、自分の笑い声さえ聞こえてくるようだ。

今回の挑戦でも、山頂に素晴らしいものは何一つ落ちてはいなかった。持ち帰ることができたのは、僅かばかりの達成感を伴った、心地良い、とても小さな思い出の欠片達だけだった。しかし寡黙に、時に楽しく拾い続けたそれは、小太郎山の頂で輝きを放つ結晶となり、私の頬を流れ落ちた。山梨百名山は、こんな偏った私にも人生の宝物をくれたのだ。

人生と山梨百名山の大先輩K氏、山梨百名山の先輩いんちき登山者S氏、近所の変態T氏、迷える小屋番A氏、最後の一座を共に踏んで下さったHさんご夫婦とK嬢、山ばかりで遊園地にもろくに連れて行ってもらったことの無い息子くんよ、一緒に登ってくれてありがとう。

そして、こんな地味なシリーズに長い間お付き合い下さった奇特な読者の方々、大変ありがとうございました。

末筆ながら、山梨百名山選定委員会の方々、各市観光課職員の皆様方、登山道整備と山頂標柱設置へ御尽力下さったボランティアの方々に深く感謝いたします。素晴らしい山々に囲まれた山梨をますます好きになりました。


『山が好き』単純な理由で、これからも自分の「登山」を楽しませて頂こうと思っています。


登山

by yama-nobori | 2017-02-05 13:59 | 登山 2016 | Comments(4)
Commented by sen230727 at 2017-02-06 21:38
【何故山に登るのか?】答えは登山者百人それぞれ違います!健常者が挑戦目的で登るだけでは無い。病気を持ちながら薬もたずさえ治療の一環と言う登山者もいます。
怪我の回復を願ってのリハビリと言う登山者も居ました。登山開始前に決めていた、己の登山のカテゴリーを一途に守る人。登るごとに変えて行く人。いずれも良いのでないでしょうか。
大自然の中に己を置き、苦しさも楽しさも自然の偉大さを感じる事が出来れば。自己責任で安全登山が出来れば他の登山者と同じでなくても良いのでは?
第二の故郷、山梨県の百名山。思い立って、ついに達成!おめでとうございます。今年再会したら優さんのカテゴリも話をしましょう。
これからの山旅期待しています。
Commented by yama-nobori at 2017-02-07 21:46
> sen230727さん

その通りですね!
人それぞれで良いと思います。
私の知り合いも病気を患いながら頑張っている人がいます。
だからこそ、あーしろこーしろと押し付けがましいコニュニティからは抜けることにしたんです。体が動くうちは、自分のスタイルに拘ってしばらく登ろうと思っています(^^)
夏はたくさん飲みましょうねw
Commented by smoke at 2017-02-28 13:54 x
突然のメッセージ、失礼いたします。
昨年5月のGWに甘利山~千頭星山にて御挨拶させていただいた者です。
千頭星山の山頂では息子さんと色々と話しをさせて頂きとても印象に残っています。
以降我々も山梨百名山ファンとして密かにフォロさせていただき度々参考にさせて頂いております。
少々遅くなりましたが百座踏破おめでとうございます。
我々が踏破できるのはいつになる事やら…焦らずマイペースに楽しみながら登り続けられたらと思っております。
陰ながら今後もフォロ、応援させていただきます。
Commented by yama-nobori at 2017-03-01 22:17
> smokeさん

わぁ、覚えています!!
千頭星の山頂でお会いしたお二人ですよね!?
確か鳳凰方面に少し向かわれて、展望を確認されていたと記憶しております。
息子くんも「うん、話したよ!!」って言っておりました(^^)
よくぞこんな辺境のブログを見つけて下さいましたw
驚きました!

またどうぞ遊びに来てやってくださいませ。
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