黒金山(くろがねやま)は、山梨市にある奥秩父に属した標高2232mの山である。 景勝地として有名な西沢渓谷の源流部と、軽い岩登りが楽しめることで人気の高い乾徳山とに挟まれ、訪れる登山者が極端に少ない不遇の一座だ。 しかしながら山頂からの展望は素晴らしく、国師ケ岳・甲武信岳を始めとした奥秩父の主稜線の峰々が並ぶ眺望は文句のつけようがない。 山容は端正な三角錐をしており、乾徳山の後見人のように凛々しく聳え立っている姿は秀麗である。 著名な黒金山山頂へのルートは、西沢渓谷から牛首経由・大平から乾徳山経由・青笹から牛首のタル経由の3コースである。 今回は大平からの林道整備が進み、近年時短が可能となった「牛首のタル」コースを利用した。 かつて、黒金山へのルートは他にもあった。 現在は廃道となってしまった登山道の話は記事の中で触れてみたいと思う。 往復3.0h程度である時短コースの存在を教えるととても驚き、急遽ご一緒していただけることとなった。 大平高原へと向かうため、R140(雁坂みち)を西沢渓谷方面に進み、R209「乾徳山」徳和峠登山口を通過して、この道標から林道へと入る。 記憶の中での黒金山への往復には、短いコースでも6.0h程度はかかるはず...。 前日にこのコースの存在を知り半信半疑でやってきた。 しかしその先にある黒金山へは、やや玄人好みのラッセルのキツい山だという認識を持っていたので今まで未踏のままであった。 久しぶりの大平高原を楽しみに林道を走り続けていると、重機が道を塞いでいて驚いた。 しばらくこの状態のままで走り、途中で横をすり抜ける。 かつては牧場があり、それなりの賑わいをみせていたこの場所も、現在ではすっかり寂れてしまっている。 そんな事もあってか、「この奥に駐車場無し」「駐車料金1日800円」などの看板があり集客に余念がない。 登山者の駐車場利用率はわりと高いようだ。 しかしこの先にある乾徳山登山口の周辺には、路駐可能なスペースがたくさんあるのでこのまま進んでしまって問題は無い。 ちなみに、乾徳山の登山バッジもここで購入することができる。 更に林道を進むと「乾徳山・黒金山登山口」の道標が現れるが、ここを利用するのは大平山荘へ車を停めた場合である。 かつての牧場跡地で、たくさんの人が「わらび」を採っていた。 その傍らには「わらび採り駐車料金1日500円」。 全てを無視して先へと進む。 2つある乾徳山登山口を通過。 なるほど、ここから先が近年整備されたという「黒金山登山口(桧尾)」へと続く「乾徳山林道」か。 バイクを停め、景色を楽しみながら朝食を食べていると心地良いエンジン音が聞こえてきた。 この山域はK氏にとって特別な場所。 たくさんの思い出話とともに、目を細めながら山にカメラを向け始めた。 この場所からの山座同定には自信が無かった。 するとK氏が、見えている全ての山名をすらすらと教えてくれる。 目の前の高く横たわっている稜線の林道をバイクで走り抜けたこともあるのだそうだ。 なるほどね~、あれが雲取山で、あれが飛龍山なんだ...。 目指す黒金山は、この稜線上の右方向にある。 まずはCT80分の「牛首のタル」と呼ばれる場所を目指す。 いつものように、山やカメラなどの趣味談義がとても楽しい。 どの登山道を歩いたのかは記憶に無いが、友人と二人、やっとの思いで「牛首のタル」まで辿り着き、そこを経由し西沢渓谷へと降りたのだそうだ。 50年ぶりに訪れるその場所に立った時、K氏はどんな顔になるんだろう。 少し大袈裟だけれど、私は時空の立会人になるんだ。 どうか記憶のままの姿であって欲しいと願いながら氏の背中を追った。 涼しい風が吹き抜けとても心地良かった。 整地した跡もあったので幕営を楽しんでいる方もいるようだ。 目指す「牛首のタル」は両山の鞍部を意味している。 「牛首」を巻くように登山道が付けられているようだ。 ということは、「その場所」はもう近いのであろうか.... K氏は今、どんな気持ちで歩いているんだろう。 なんだか邪魔をしてはいけない気がして私は少し距離をおく。 学生帽を被った友人の姿が鮮明に蘇ってきたと、とても嬉しそうに話してくれた。 50年の時空を超え、私には二人の少年の姿が見えた。 私もいつの日にか、こんな山行をしてみたいと強く思った。 その頃と変わらない風景なのであろう。 しかし記憶していたのは、友人の学生帽と、その後苦労して降り立った西沢渓谷への荒れた登山道の風景だけであったのだそうだ。 しかしこの頃には、ゆっくりと流れるK氏との時間を愉しむことに決めていた。 国師ヶ岳が眼前に大きい。 近い内に登ってみたいと思う。 あの鶏冠山から見た黒金山の姿が忘れられずに、今日はここに訪れたのだ。 それにしてもあれ程までに特徴的であった鶏冠山は、こちら側から眺めると悲しいほどに地味な存在だ。 多くの方が同定出来ないのではないだろうか... その後も写真撮影を存分に楽しみ、しばらく話し込んでから下山を開始した。 一人は”西沢の主”と呼ばれた岡部重雄、もう一人は”乾徳のおばあさん”と登山者に慕われた坂本とよじである。 1962年、岡部は高度成長の波に乗り過疎化の始まってしまった山村を、西沢渓谷の開発による観光立村を試みた。 その後は渓谷への登山道整備にも着手し、途中からは県の補助も受け、1971年山梨を代表するハイキングコースに育て上げた。 これが現在も利用されている「西沢~黒金山~乾徳山~徳和」を結ぶルートである。 一方坂本は、嫁ぎ先であった徳和で山登旅館を経営する傍ら、私財を投じて登山道の整備を開始する。 当時女人禁制であった乾徳山に登るほどの行動力逞しい女性である。 構想は昭和初期、開削は昭和20年代の半ばということであるから、岡部に先んじての行動力だ。 目的地は同じく「徳和~西沢」であったが、ルートはやや異なっていたようだ。 しかし完成したルートはややおっくうな横手道であり、県からの補助などもなかったことから、やがて廃道となり地図からも消え去ってしまった。 そのためK氏との登山を楽しむ機会も減ってしまうだろう。 当たり前のようにバイクを停めて二人して風景を切り取った。 するとK氏が家に遊びに来ないかと声をかけてくれた。 もちろん大喜びで「はい」と応えた。 いくつかのさくらんぼを試食しお土産を買った。 庭のガレージには改造バイク、玄関には大きな空母のプラモデルに天体望遠鏡。 部屋の中には数多くのカメラと双眼鏡、そして趣味の書籍が山積みになっていた。 まるで玩具箱のような素敵な部屋だ。 それに加え部屋からの景色が凄い。 甲府盆地のほぼ全てを眺めることができ、南アルプスへの眺望も素晴らしかった。 ぽかぽかとした気持ちで日の傾き始めた甲府盆地をあとにした。 素晴らしい出会いをくれた南アルプスに感謝である。 次回はいつご一緒させて頂くことが出来るのであろうか。 今からその日が楽しみだ。 おしまい。
by yama-nobori
| 2016-07-24 23:50
| 登山 2016
|
Comments(1)
Commented
by
yama-nobori at 2016-10-30 22:09
> chat77さん
静かで近場な山ならなんでもいいんです。 移動時間が長くて山の中にいる時間の方が短いなんて寂しいですしね。 奥秩父のあたりは森が美しくて大好きな山域です(^^)
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